店主コラムは「ギリシャを身近に感じて頂き、その上でギリシャの商品をお届けできれば」という思いから、
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ギリシャで暮らした5年間の中で、特に生活に密着した出来事などを書き連ねてみましたので、
どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ(*^_^*)

(17)2009年10月16日(金)号 アメリカ系ギリシャ系日本人?AmericanGreekJapanese?

ヤーサス!10月も中旬を迎え、秋も深まって参りました。早いもので今年も残り3カ月を切ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?今号では前号の予告通り、ギリシャを少し離れ、私がアメリカから日本に帰国した時のことを書きたいと思っていたのですが、結局ギリシャから離れることはできませんでした(笑)。

私は2歳から6歳までの4年間を、アメリカのテキサス州ヒューストンで過ごしました。アメリカの学校は9月から新年度が始まるのですが、私は6月頃にキンダーガーデン(幼稚園)を卒園後に帰国し、9月頃に日本の学校に編入園?しました。つまり私は幼稚園を2回卒園したのです(笑)。
編入直後の日本の印象は「黒い!」でした。全員の髪の毛が黒く、全員の眼の色が黒く、全員の制服が黒いので、かなり衝撃的でした。
テキサスはアメリカ南部の州で、メキシコと国境を接しているため、白人・黒人・ヒスパニック系・アジア系とバラエティーに富んでいたので、余計にそう感じたのかも知れません。
第2印象は「暗い!」というか大人しい感じを受けました。言葉の響きから、日本語(標準語)は英語に比べると抑揚が少ないというか、テンションが低いと感じたのでしょう。
当時は、まだ日本語と英語を混ぜて話していただけに、日本語だけの音声は平坦な感じを受けましたね。「You!僕のRoomへおいでよ!」と言う感じだったので(笑)。
その後、日本の公立小学校に入学する訳ですが、2年生の夏にはギリシャへと旅立つこととなります。やっと日本にも慣れ友達もできたにもかかわらず、突然離れなければならなかったことは、とても悲しい現実でした・・・。
そんな思いを抱きながら長旅の末にギリシャに到着したその時、突然「ブラボー!!!」と叫びながら座席を立ち拍手をする、何とも濃い(苦笑)人達と巡り会うことになります。人生初の「ギリシャ人」です。彼らの非常識な(苦笑)騒々しさ、テンションの高さに圧倒され、そして救われました。

エフカリスト&アディオサス!


2001年1月30日 「リカベトスの丘」を背に「近代オリンピック競技場」にて。
「ヨーロッパ一人旅(ドイツ→ギリシャ→イギリス)」でのワンショットな訳ですが、髪の色が明るい!(苦笑)

「自分は、いったい何人(ナニジン)なんだろうか?」

を探すため、日本出国前に髪を染め、日本語を封印?して旅に出たの図。
懐かしいっす。この頃は自分が「ルルーディア」を立ち上げるなんて、全く想像できなかったな~(しみじみ)。
次の11年、なんだか楽しみになりました。



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